明日、やろう.com

世の中のこと全部から逃げたい俺の奮闘記

雪がちらつく西日本にて。

妻は事前に断り、仲の良い後輩と夕飯を共にして帰宅。

といっても、帰り際にパチスロを打ってしまい、約一万円を散財。タクシー代と合わせると、なかなか悲しい出費だった。依存症だとは思わないが、この金額をあっさり負けてしまうとなると、生活にも影響がでかねない。二度とやらない。と心に言い聞かせてもやってしまうのでは、決意した意味もない。家に帰ることを優先することが何よりも大事なのかもしれないな。

後輩との夕飯で気づいたことがある。

転勤してから早10カ月が経ち、土地にも慣れてきた。そして仕事にも。打ち合わせでも迷いなく進めることができ、俯瞰して参加者の意見を聞きながら、自身の役割を発揮できていると自覚できる状態にあると思う。

慢心ではなく、控えめに言ってもだ。こうしてブログ書こうと(一時は中断期間もあったのだが)しているのも、頭の中で何を考えているのかが少しでも見えるようなれば、足りない能力を少しでも補えるような振る舞いが、次の一手として生み出せるのではないかと考えているからに他ならない。

反省すべき内容はなかったのか。

ある。

昨日のエントリで書いたけれども、文字にすると考えるきっかけとなる。これはたぶん間違いのないことだろう。これをへたな文章でも続けていくことで、(なんとなくだけれども)思考の深化に発展していくだろう。曲がりなりにも今年で四捨五入すると40歳になるので、しっかりと、明確に物事を進めていくことで、人生は「それなりに」開けてくるのではないかと、自身の努力が一定はあるという前提で期待をしているのだ。

それなりの人生とはどのようなものだろう。

おそらく、いまでも年収は全世帯の平均の2倍くらいはある。その時点では中流に自分は位置しているのだというのが自分のポジショニング感である。これから如何に出世し、さらに高い位置まで自分を持っていくのかが今後の重要な課題なる。その課題が具体的に何かを定義して、クリアしてクリアし続けていくことでこれもまた開けてくるのではないか。

世の中を見渡せば、私がうらやむ能力を持っている人たちは山ほどいる。彼らにとって私など、私の存在などチリのようなものだろう。いや、そもそも認識すらされていない。それでも生きていく必要がある。より豊かに生きていきたいという願望もある。今日のニュースで元ソフトバンクホークス松坂大輔が中日に入団、とあった。松坂世代としてはうれしいとともに、松坂は夢を持っていないことをそのニュースで知った。夢とは叶えることができないもの。●●になりたい、ではない。●●になる、と思う。なるほどな、と思った。彼はおそらく幼少期から当たり前のようにプロ野球選手、いやメジャーリーガーになる、と決めてそれに向けて私のような一般人には考えられない努力を積み重ねてきたに違いない。しかし、そんな彼にも故障という苦労があり、これもまた、自分は復帰する、と決めて今日に至ったのだろう。

松坂と自分を比較(本来であればおこがましくてアタマで考えても表現などしてはいけないと思うが)してみると、小さいなりに彼の生き方・考え方は私に勇気を与えてくれるものだった。夢を描くのではなく実現するための行動をおこす。いわれてみれば当たり前だが、やってのけるのは並大抵のことではないよね。それをニュースとはいえ目の当たりにできたことは、同世代として(繰り返しにはなるが)この上ない喜びだ。

今日という1日が間もなく終わり、また明日が迎える。改めてこうしてみると本当に毎日、1日1日の積み重ねが人を作っているのだ。0.1%でも毎日前進する人と、0.1%毎日交代する人とで、1年で約6倍パフォーマンスに開きがでることを以前、会社の研修で聞いたことがある。なるほどな、とすぐに感じたものの、だから何をするわけでもなく5カ月が経過した。今気づいたのであれば、このブログという場所で少しでも反省して、明日をよくしてみよう、何か変化をさせてみよう、といった気になるから不思議なものだ。何に変化を加えるのか。またそれを考えるのも生きていく楽しさだろう。

一度しかない人生だ。休み休みも、やはり進まないとね。