明日、やろう.com

世の中のこと全部から逃げたい俺の奮闘記

自分なりに頑張っている気がするけれども何かがうまくいかない

結局、頑張り切れていない。

追い詰められていない。

何をどうしたらいいのかがわからない。

 

今日の仕事を振り返ってみると比較的穏やかに終わった気がするものの、充足感は非常に少ない。充足感を感じるときってどんなときなのか。ここ数年だと、昇格面談の練習をしていた頃だと思う。

あれから約一年が経過したが、面談の練習を業務の合間に行ったが、仮想の仕事において、課題を設定し、解決策を洗い出し、自分なりにどうやって進めていくのかを考えそれをプレゼンする、といった繰り返しだった。しかもほぼ上司の受け売りで、それを自分の言葉で表現できるようにするための練習だった。

なぜ、そこに充足感を感じたのかを分析してみよう。

まず、ゴールが明確だったこと。通常業務は通常業務としてこなしていたが、面談は短期決戦で、昇格することが目的だ。そのためには、どうやって面接官に対して自分の能力を認めてもらうかが重要だということがはっきりしていた。(ここでの能力は実際に仕事ができるかどうか、ではなく現在⇒将来というスパンで仕事に対して意欲的に取り組み、管理職となった場合においてもパフォーマンスを発揮できる、という意味の能力を指す)

あとは、そのゴールに向けて現状の自分に足りないスキルが何かを洗い出し、ひたすらそれを補う訓練を積むことに注力すればいい。ただし、英語の学習と似ているのかもしれないが、伝えたい内容を自分の言葉で伝えるためには、その内容を深く理解しておかなければならない。

普段の仕事の取組みにおいて、深く理解することは重要だと思っていない。課題は誰かが見つけてくれて(仕事の種は常に他人任せだ)、それに対する打ち手を検討するところから始まる。それとなく無難な打ち手を思い付きで考え、それを実行するにあたってのリスク(といっても本当にクリティカルなリスクのではなく、周りに対して「あ~、それって確かに起こりうるよね、怒ったらまずいよね。よく考えてるね」と思わせることができる程度のリスク。わが社に本当のリスクテーカーがいるのかは不明。ていうかいないだろうな。)の洗い出しと、それを基にしたアクションプランを考える。

これでそれなりに評価されてきたのだから驚きだ。

毎回毎回の昇格試験などで、部署が異なる同期と顔を合わせるたびに痛感するのが、優秀だと感じる同期は、常に物事を深く考え、本当の最適解(わが社の場合ではエンドユーザの笑顔=会社の利益とを結びつけて、それらを両立させるために自分の組織でやるべきこと)を見つけ出しているように思える。新卒で入社して他の企業がどのように仕事を進めているのかを知らないので、それが合っているのかどうかはわからない。けれども、自分の価値観という尺度で彼ら優秀な同期をみると、やはりそう感じるのだからこれは仕方がない。

話が少しずれたので戻そう。

一年前の私は非常に苦労していた。
上司と作成した面談資料(主にプレゼン)を読み込み、理解を深め、言葉に発することでさらに理解も深めると同時に相手に伝わるかどうかをセルフレビューしながら、上司と面談練習を行うというサイクルを回し続けた日々が続いた。

面談練習を開始した時期に私が感じたのは、上司は私の能力に非常に疑問を持っていたようだ、といこと。おそらくベーシックノウレッジもなく、それ故に発展的な仮説も立てることができない私にあきれているようにも感じ取れた。しかし、ゴールは明確だ。昇格=出世。非常にシンプルな目的で、それが一か月後の面談ですべてきまると考えれば、頑張ろうという気力を保つには十分だ。

練習が終わるたびに上司が与えてくれるアドバイスを、こっそり録音し、それをテキストに起こして、プリントアウトして読み込み、出し続けた。

面談まで残り一週間を切った頃に上司から「仕上がってきたな」というコメントをいただいた。自信につながる言葉だった。

三日前からは、自宅でほぼ徹夜で面談練習を重ねていた。この練習を通じてだが、私の勤める会社の取組んでいることや、自分の所属している部署が会社全体のどのような役割を担っているのかが非常にスッキリわかってきたような気がした瞬間を迎えた。

そうするとどうなったのか。

受け売りではなく、100%自分の言葉で伝えることができるようになっていた。他人の言葉をそのままただ暗記してしゃべるのではなく、自分のものとして、だ。

コンサルとかそうした職種の人たちとは次元が違うことは承知しながらも(ある種、アタマの中身が違いすぎて私自身は社会人になってしばらくの間コンプレックスを抱いていた連中を指す:総合商社もそこには含まれる)、入社してから一番のブレークスルーを感じていたのだ。

結果としては、昇格試験に合格し、そのプロセスと結果の両方において一定の自信を得られたことはよい経験になった。

 

 

それから1年がたち、今の自分はどうだろうか。

考えることをやめてしまったように思える。環境に甘え、そうなっているのだ。(環境に甘えている、と書いたのは、本質的に周りに流される性格のため、自分自身が考えていないと感じているのはたいてい間違っていなくて、そうなっているのは追い込めない環境に自分がいるからに他ならない、と安易に考える思考のクセを持っているから、と私は自己分析しているためだ)

 

あの面談練習を通じて体験したことをもっと身近にできるよう、環境を変えてみるはどうだろうか。

仕事に対する負荷のかけ方をかえる。(簡単に言うけど、環境が甘いのにどうやって負荷をかけるの)

ゴールの設定を高くする。(達成した報酬はどうするの)(それって達成しなかったときに失うものはあるの)

 

やり方はきっとあるはず。

もっと考えてみよう。