明日、やろう.com

世の中のこと全部から逃げたい俺の奮闘記

幻想の果にあるもの

はじめに

 学生の頃から書店の自己啓発コーナーが好きだった。

 

「あなたの能力が何十倍にもなる方法」、「明日から生まれ変わる魔法のコトバ」などなど、読めば自分が変われるかもしれない。 

なんにでもなれる、なんでもやれる。

書籍と対話を重ねることで、そう思うようになっていた。

  

しかしながら、現実はそう甘くはない。

「継続は力なり」、という言葉の重要性は理解しながらも、一度として実践できたことがない。30数年の人生を振り返ってみると、これが自分なんだと思った。

例えば、早起き。例えば、ジョギング。例えば、禁煙。

 

大学卒業→今の会社に入社してもう10年以上が過ぎ、「継続」という言葉は少し前にちょっとだけハマったパチンコ(牙狼 魔戒の花)の液晶で見る以外なかった。

ひたすら目の前の出来事に流され、将来を見通せない、いや見通そうとしない日々。

(よくある言葉だが)これでいいのか、と数ヶ月に一度考え、書き記すも3日後にはきれいに忘れ去り、再び流される日々に身を投げだしている。

 

「継続」が大事だとかそんなことを言いたいのではなく、自分なりに社会人になってからどういうことを考えて、どういうことを経験、実践してきたのかをこのブログに記すことで、これから訪れる残りのサラリーマン生活に改善の光を当てられるよう、活かして行きたい。

ありのままを書き連ねることで、少しでも自分自身の振り返りから、同じような境遇の方の共感が得られれば幸いである。

 

振り返り

では、簡単にこれまでの人生を振り返ってみよう。

  •  1980年代 東京生まれ
  • 都内の私立中学・高校を卒業。一浪の末都内の私立大学に入学。
  • 大学卒業後は、某大手企業にて勤務
  • 趣味は競馬・ゴルフ・読書(ビジネス書中心)

 たった4行で振り返ってみるとこんな感じである。

 

平凡なサラリーマン家庭に生まれ、教育志向の強かった母親の影響で、大学までエスカレータで行ける中学に入学するも、成績不振で大学受験をすることになり、浪人。結果一浪で私立大学に入学。

成績不振で大学受験。

この時期が今の私を作る上での一番大きなポイントになっているのだろう。

 

小学校時代 

小学校時代は、受験塾に通っていたが成績は中の上くらいだった。予習や復習もしっかりやる方ではなく、中学受験自体も目標があったわけではなかったので、そこまでガツガツ勉強をした記憶もなかった。ただ、小学校では塾での先取り学習の効果もあり、かなりできる子だったと思う。そう、そもそも学習する習慣がない子だったのだ。

 

唯一合格した中学校に入学した私は、学習する習慣がないために苦労することになる。初めての定期試験では、下から10番目くらい。上昇することもなく、ひたすら成績は低空飛行。親も学校に呼び出される始末。

 

中学・高校(受験に目覚める以前)時代

部活は結果として何もやらなかった。当時はスラムダンクが絶頂期で、スポーツするなら野球かサッカー、ではなくバスケが人気であり、バスケ部に入部しようとしたが入部タイミングがわからず、調べてわかった頃にはすでにバスケ部内で同級生のコミュニティが出来上がっていたこともあり、諦めてしまった。この頃に、バスケ部にこだわらず他の部活を探せていたら、人生が違った方向に進んだかもしれない(いまよりも良い方向か悪い方向かはわからないが)。

 

そうして、勉強ができなく、時間を持て余していた私は、高校1年の夏頃からアルバイトを始める。都内の船乗り場が近くにあるコンビニエンスストアだった。アルバイト先は、私にとって学校以外の初めての社会であった。関わる人達が全員年上で、話す内容もギャンブルや大学生活、バイト後の人生など様々で、同級生との会話とはまた違っていたことも楽しかった。給料は本代・馬券でほとんど消えていったが、私にとっては給料以上にその空間が好きだった。(と言いながら、大学2年時にバックれるんだけど)

 

アルバイト先で知り合ったKさんという大学生が、同じ中学受験組ということもあったのか大分可愛がってくれた。

Kさんは早稲田高校から法政大学法学部に一浪して進学し、黒いスラックスに白いワイシャツというスタイル(当時でいうところのキレイ目)、天然かどうかわからないパーマで出勤していた。たまにヒゲも生やしていた。当時は英検準1級を取得するために勉強していて、将来は公務員になると言っていた。

Kさんと一緒のシフトになる機会も増えたことで、学生生活の模様や受験当時の話を聞くことが多くなり、自分の中である意識が芽生えた。

 

「文系の大学を受験しよう。文系の大学を目指すなら私大のトップに行ってみたい」

 

高校(受験に目覚めて以降)時代

私の入学した高校は、理系色が強い学校で全6クラス中、5クラスは理系の授業が中心だった。私も当たり前のように理系であり、学校の中では文系はバカが行く、そう教師たちから刷り込まれていた。数学が苦手で、これを克服しないと人生が終わる、と真剣に思っていた。なまじ化学は楽しいという感覚をもっていただけに、数学さえできるようになれば、付属の大学へ進学ができ、理系だから将来も安泰だとマジで信じていたから、学校教育とは怖いものである。

Kさんの影響から、文系という活路を見出した私は、学校の授業が終わるとアルバイトのない日は新宿の紀伊國屋書店へ、アルバイトのある日は浜松町駅文教堂書店へ通う日々となった。

ひたすら大学受験参考書売り場の一角にある「受験勉強法」コーナーに入り浸る。その中で出会った運命の書籍が『私の早慶大合格作戦 ’98』。 

私の早慶大合格作戦〈’98〉 (Yell books)

私の早慶大合格作戦〈’98〉 (Yell books)

 

 

合格体験記との出会い ~早稲田大学政治経済学部を目指して~

決意

初めて合格体験記を読んだ。落ちこぼれたちが1年ないしは2年、努力することにより早稲田・慶応に合格しているではないか。強烈な落ちこぼれだった私は何度も何度も読み返した。

勉強する前に、勉強法の勉強をする。

未来が明るく開けたように感じ、これが非常に楽しかった。受験科目に数学が含まれない大学の最高峰はどこか。そんなことからつぶさに調べ、それが早稲田・慶応であることを初めて知ったのだ。

英語、国語、選択科目。この3教科を極めればこれまでの人生がリセットできる。合格体験記によると、選択科目は「政治・経済」が学習範囲も狭く、いいらしいということを知った。これにより、慶應義塾大学は選択肢から外れ(政治・経済での受験ができないため)、早稲田大学を目指すこととなった。

志望校は早稲田大学政治経済学部経済学科。偏差値52くらいのなんの取り柄もない高校生の決断だった。

結果

合格体験記に沿って、単語帳、問題集を買い集めて丸暗記を試み、高評価の予備校授業を受講したことで、ある程度の学力が付いた。選択科目は、模擬試験でも名前が載るくらいまで成長。

現役時は早稲田大学政経、法、商、教育、社学)、明治(法)、明治学院(法)の3大学を受験し、全て不合格。

予備校の本科生に入学し、再度、私学の最高峰へ挑むも、志望校の早稲田大学政治経済学部はおろか、その他学部にも届かず、という結果だった。

MARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)の経済学部に進学することになった。

私という人間の本質

小学校以降の人生を振り返ってみて、改めて感じたが、私という人間は、中長期的に努力を継続することが苦手、いや出来ないのかもしれない。

例えば受験勉強にしても、ターゲットが明確であったにも関わらず、詰めることができない。途中でダレる。ストイックさが圧倒的に不足している。

これからも、このブログで振り返る機会があるかもしれないが、そうした私自身の本質的な部分を見つめながら、考察するとともに、どうしても改善しなければならない点があるようであれば、そのやり方を見つけていきたい。

 

 ざっくり振り返りをしてみたけど、改めて文章を書くって難しいですね。普段、仕事でメール作っている時にいかに何も考えていないかがよく分かる(笑)