明日、やろう.com

世の中のこと全部から逃げたい俺の奮闘記

回すも何も、まずはP(Plan)からだよ

土日が明けて、今週がスタートした。

なかなか、土日はブログの更新はできない(家族サービス、そんな大それたものではなく、子供の世話をすることに追われているから、くらいの理由ではあるが)。

週末が終わると、いよいよ仕事が始まる。久しぶりに7時に起きて8時に仕事を開始するという、流れから一週間をスタートさせてみたが、やはり朝はすがすがしい。誰もいない分、圧倒的に仕事が捗る。といっても、まだ上にいける、改善の余地はあると確信しているのだが。

まず、反省からしてみよう。出勤後、缶コーヒーを飲みながら今日のスケジュールを確認し、打ち合わせ内容を把握(これは本来なら先週の金曜日時点で終えていないといけない)。打ち合わせに向けて、確認事項を簡単にOutlookでメールに残して、作業の内容を確認。ここでの改善ポイントは、月曜日なんだから、一週間の流れを知っておこうよ、ってこと。そこから逆算したときに、今日一日が大してイベントもなく、目先の作業に没頭できるな、などと安易な発想に陥ってしまう。まさに今朝の私のことだ。プラン。今まさにPDCAを回していこうって決めて動いてんのなら、まずは何から手をつけるのかを明らかにしないといけない。早速だが、明日の朝は着座してからすぐにTodoistでタスクを見直す。分解する。分解した内容から時間がかかりそうなものを見つける。それをどうやって対応するのかを考える。それとおおよその完成までの時間を計算する。これを朝イチでやることで、目先の仕事に没頭しなくても済むようにするのだ(とはいっても、それを行ったところで変わるのか変わらないのかは、本人の資質によるところが大きい気もするが、それを言ってしまうとその気質も変わらない。根気よくエントリに登場させまくることで、変えていこう、うん)。

少しだけ頭がクリアになってきた。

反省点の二つ目。データ加工作業およびメールでの関係者周知(データの展開と報告のお願いがメインの内容)に約三時間を費やしたことだ。分解してみると、データ抽出完了のメール受領から、上長へのデータ抽出依頼、データのダウンロード。エクセルを開いてから、簡単な数式を入れて、別シートへ貼り付け。貼り付け後にエクセル上で再計算が走り約五分のフリーズ(パソコンのスペックが低すぎてこればかりは待つしかないといったところ。パソコンの買い替えは難しいようだが社員の生産性を考えると、一定のスクリーニングを行ったうえで、ワンランク上のパソコンを貸与してくれてもいいのでは、と思ってしまう。)。データ完成してから、共有サーバへアップロードし、エクセルで報告用フォーマットを作成して、それをメールにて関係各位へ送信で、タイムアップだ。どこで時間がかかったのかって、メールの本文作成だろう、報告用フォーマットを作ってから、メール本文で報告フォーマットの記入方法を具体例を織り交ぜながら作り上げていたら、フォーマット自体の微修正を行ってはメール本文に戻りとを繰り返していたら、だいたい九十分くらいかかってしまった。イメージではデータ作成からメール送信までを九十分くらいと見積もっていたのに大幅に延長してしまった(スムーズにやっていれば、おそらくは19時には退社できていただろうに)。反省すべきは、報告フォーマットを一発ですむと思ってしまったこと。フォーマットは4つの組織に送るにあたり、まずは全体で1個作ってそれを4つにコピーして作ったのだが、最初に想像力が足りなさ過ぎて、結果的に微修正をする際は同じ作業(といっても本当に軽微なコピペと行挿入だけだが)を4回繰り返すことになったのだ。本来的にはすべて一回でやれれば、一時間とは言わないが、30分は短縮できたであろう。具体的に言い過ぎたのであまりイメージがわきにくい可能性もあるが(いや具体的に、のほうがイメージってわきやすいのかな)、簡単に言うと全体像をしっかり持って、細かい作業に取り掛かれってことだと思う。仮に一歩目が大事って話だとしても、やっぱりある程度早いタイミングで全体を見渡す必要があるのかも。ぶっちゃけいうと今の仕事では、あまり途中で見せて修正って機会がなく、基本的に個人事業主のような形ですすめていく案件が多い職場ならでは、なのかもな。ある程度人に余裕(いや適性な配置と言ったほうが適切か)となっている組織では、大まかな方向感を上司と摺合せしたうえで動くのが常(我が社だけのルールなのかもしれないが、おおよそそれが正解なんだと思う)。それができないがゆえにある程度自分で自分をマネジメントしていくことも重要だ。今回はたまたま所定の時間内で完了したからいいものの、個人事業主単独で誤った道に進んでしまうと、結果的にお客様(今の私でいうところの関係各位、になるのか)に死ぬほど迷惑をかけてしまう。加えて言うと上司に実務をあてにすることができない中での振る舞いなので大変苦労する(と言いながらもその苦労を楽しんでいるのだが)。

全体像を早めにつかみ、作成前にイメージを行う(ただ、やはりある程度は頭の中でイメージできているので、そうした場合には作りながら考えるほうが速いという判断になってしまうのだろう。今のところそれが悪いとは思わないが、この先、本当に資料作成前にペンを使ってイメージを紙に落とし込み、それからアプリーケーションを立ち上げる人が近くにいたらこの考え方は変わるのかもしれない ※その人がめちゃめちゃ生産性が高い場合に限るが)。まずは意識して、具体的に動いてみることで変わるだろう、というすごい希望的観測を述べてみた。

あとは午後にあった打ち合わせでの一コマ。他部門からの相談で、私は本題ではないところで聞きたいことがあったための参加であったが、最初から出てみて気づいたことがたくさんあった。相手は技術部門(システム関係の担当)で、おそらく理系だったのだが、しっかりと打ち合わせのテーマを明確に宣言しした上で、「課題」および「課題」が生じている要因、そして打ち手をわかりやすく資料化して説明していた。ひどかったのがそれを受ける立場の我々。結局、どうするのか、っていう結論めいたものは出ないのは仕方ない(おそらく事前に何も考えていないから)んだけど、それ以上に一番しゃべっていた人は、「確かに●●で、だから△△なわけで、それが理想的なんだけど現実的には、現状の運用ではできないと思うんですよ」と終始打ち合わせは停滞。打ち合わせでの課題は、年度当初に予算をとっていた案件が、年度末の着地を見越してもほとんど実行されない見込み、だから次年度はもっとしっかりとした見立てで予算を取ってほしいというもの。素人ながら、「できなかった理由って把握してるんでしたっけ?実行できないって、期日も決まっていないならそりゃ誰もやならにでしょう」と突っ込んでみても何も言われない。結局、だれが主体となってやるのかが明確でない仕事は得てしてこういう運命になるのだ、ということを身に染みて感じた。まぁ、次年度私がやることになったら、しっかりやろうということだな。

さて、雑文シリーズが今週も続くが、寒さに負けずに朝はちゃんと起きよう。

電話、電話、電話!!

上司が二日間不在の中で、ひたすら部長とその周りからの雑音に耐えながら、黙々とデスクワークをこなしていた。時が過ぎるのを忘れることはできないくらいだったものの、それなりに集中はできた。

しかし、これではいけないと感じる日々が続いている。もっとできるはず。そうだろ。やれるだろう。漠然と頭の中で思っていたことをいま、このエントリにぶちまけることにしよう。(きっと書き留めてみれば何かが変わる、変わるきっかけになる)

まず、仕事にかかる時間。シングルタスクを意識してやっているのだが、完全に「シングル」とするのは、普通のサラリーマンではむつかしい(わかっていただけると思うが、同僚・上司から話しかけられ、また電話により遮られる。電話といっても携帯電話にかかってくるものは一旦無視してしまえばいい。問題なのは外線、内線といったものだ)。

最近は内線の音量をサイレントにして、外線のみ(自分では取らず)回してもらったもののみを対応することにしている。こうすることで、一定量の電話を遮断することが可能だ。しかしながら、これにも欠点があり、外線でかけてきた際、つながった相手に対して「内線にかけたが出ない」(携帯電話も同様だ)、と余計な一言を告げるケースがある。そうしたことが重なると、つながった相手(たいていは若手社員だが、時より暇な中堅社員が取るケースがある)は、なんでこの人は内線に出ないのだろうか、俺の仕事を増やしやがって、となる恐れがある。(ただ、電話取りは若手の任務、というカルチャーがある会社なので致し方ないと思うのだが。ちなみに、今の職場の最若手と飲んだことがあるのだが、その際に「若いうち、特に担当内で最年少であれば電話はいの一番に取れ」と吹き込んだことがある。私の尊敬する先輩方も私自身もそうしてきたことを伝え、その若手はしぶしぶ了承した。というのもその若手は、電話を取らない傾向があり、私がそれに対し、あまり良いと思うことが少なかったから、というのがその時の主な理由だ)とにかく電話の量を減らす。これが生産性向上に向けてはまず一定のカギとなると確信している。隣の席の先輩社員や、私の上司はなにかと電話をするのが好きなため、私の振る舞いは理解されがたいことだろうけれども(先輩社員は、かかってきた電話はすぐにとるし、上司は電話で席を空けることが多く、デスクワークをしている時間は非常に少ない。その代償として、部下が全員帰った後に、一人会社に残っては、メールチェックや資料作成をしているのだが)。

電話の量を減らしたら、次は一つひとつの業務の時間を短縮することを次のステップとしてとらえなければならない。すでに会社を辞めてしまっているが、以前隣の席に座っていた同僚が、作業をするたびにストップウォッチで時間を図っていた。そして、おおよそ、この仕事は何分かかるのかを常に概算していた。スマホのストップウォッチアプリを使用していたことを、今回の自分の仕事見直しにあたり、思い出したので明日から実行してみよう。

 

 

帰り際のその行動、後悔してますよ。そして反省へ。

思いのほか仕事がサクサク進み、二時間の残業予定を一時間で切り上げて退社。妻には二十時ころに仕事が終わると伝えていたので、書店にでも立ち寄るか、と思い駅方面へ向かう。その途中。先日負けてしまったパチスロのことを思い出した。財布に8,000円が入っている。少しでも増やせればと思い(といいつつも二倍くらいになればいいと考えていた)、途中にあるパチンコ屋へふらりと入ってしまった。

入店。いつも通りアイムジャグラーへ。空き台が少なかったのであきらめて店を出ればよかったのだが、500ゲーム程度ハマっている台に座った。打ち始めはいつでも3,000円打ってでなければ帰る、と決めているのだが、その3,000円が溶けた時には追加投資を行っている。出せれば取り返せる。それで出る時があるから、あくる日もパチンコ屋へ入店し、スロットに興じるのだから困ったものだ。

結論、今日はちょうど20,000円負けた。

数万円勝つことが稀にある一方で、1~2蔓延の負けはざらにある。つまりトータルでは圧倒的に負けているのだ。(圧倒的というのがクセもので、実際にいくら負けているのか、収支を記録していないので明確にはわからない。)家族のため、自分のため、と負けた直後は二度と打つまい、と心に誓うのだが、長くて3日程度しか続かないようなどうでもいいような誓いに過ぎない、というのが現実だ。

根本的にお小遣いがなくなりそうにならないと、辞められないのは人生設計を考えるにあたって、本質的に問題だと思う。ではなぜやめられないのか。「当たった」瞬間の快感なのだろう。少し前にギャンブル依存症の克服に関するサイトを読んだことがある。1,000円だけなら、という軽い気持ちで打ち始めると、気が付けば財布はカラになり、もっと入れ込んでいると、コンビニまで駆け足で向かい、お金を下ろしては、また駆け足でパチンコ屋へ帰る、ということになる。(現実、今日もそのパターンだ)

なければやらないのだ。

必要な分だけ下ろしておき、キャッシュカードは家に置いておくというスタイルでいいのではないだろうか。クレジットカードや電子マネーではパチンコはできない。そうだ、それがいい。書きながら思った。なんでこんなことに気づかなかったのだろう。

早速、このエントリを書き終えたら、財布からキャッシュカードを抜き出し、保管することにしよう。

まとめ。

ギャンブルは身を亡ぼす。母親がよく言っていた。そうなる前に、改善しましょうといったところだろうか。行かない仕組みを作っておくことがなによりも大切だ。

todoistはじめました。すこしだけ自分が変わりました。

仕事やプライベートで、今すぐにではないけれどもやなければいけないことを書き留める際、多くの人はポストイットなどの付箋紙を活用していることだろう。私もその一人だった。あえて過去形にしてみたのには理由があり、最近はパソコンやスマートフォンアプリを活用しタスクを管理している。(といっても完全にデジタル化しているわけではなく、急いでいる場合や電話対応から思いついたタスクはいったん付箋紙やノートに記して、後ほどデジタルで管理、といった具合だ)

そのデジタルツールとはTodoist。

詳細は調べていないので、時間があるときに検索してみようと思うが、これが使い始めてみると便利なのだ。

まず、使用方法が極めてシンプル。タスク名と期日を打ち込めば、期限の近い順にソートされる。プレミアム会員になれば、各タスクにタグ付けなどもできるが、あまり複雑にすると続かなさそうなのでしばらくは無料版を使おうと思っている。(たしか有料版は年3000円程度だったと記憶している)

次にパソコン・スマートフォン間で同期が可能な点がいい。会社のパソコンで業務はもちろんだが、プライベートでやることもすべてTodoistに打ち込んでおけば、スマートフォンでも確認が可能なのだ。パソコンのみ、またはスマートフォンのみ、となると業務、プライベートそれぞれで分ける必要が生じる場合もあるので同期ができるのは非常に便利。

付箋に書いたメモは会社に置きっぱなしだが、デジタル化してスマートフォンと同期されているTodoistの場合は、空き時間や寝る前のベッドで確認が可能なので翌日に必ずやらなければならないことを簡単にチェックが可能となるのだ。付箋紙で管理していた時と比べて圧倒的に変わったのは、記入されているタスクが、パッと見たときにどのくらい実行性(やることが明確化されているか)に優れているのかを考えるきっかけになったことだ。例えばこれまでは、付箋紙に「●●の検討、整理」と書いてあったとしても、いつまでにやるのかが決まっていなくて(たぶん書かなくてもだれも文句を言わないからだ)、また具体的になにをするのかが書いていない。Todoistで見返したときに、一覧を見ながら、「●●の検討」とあった場合に、「あー、検討するにあたっては△△を調べないとな」と思いつけば、親タスクに「●●の検討」、子タスクに「△△に関する本を買って読む」という管理もできるのだ。付箋だとバラバラに書いてしまうと、こうした作業が非常にめんどくさくなり、はたまた何をしていいのかもわからないまま、時間ばかりがいたずらに過ぎていくようなことを繰り返していた気がする(よくそれで仕事が回せていたな、とブログを書いていて改めて思うが、おそらく回すだけで質を追求できていなった理由は、こうした仕事のやり方に原因があったのだろうな)。

実は開始した初日こそ、勤務中から自宅に至るまで、思いついてタスクをすべて記していたのだが、翌日以降は付箋紙に書いてしまっていたのだ。しかし、Todoistの秀逸さは毎日決まった時間に「期限が過ぎています」とリマインドしてくれるので、リスケをしてタスク自体を見つめ直すチャンスをくれたりもする。あまりにも先延ばしにしているが、「やっぱりこれってやらなきゃいけないよな」っていう「緊急ではないが重要」なタスクを気づかさせてくれるのも、これまでにない発見だ。(これは本当にすごいことで、研修とかでよくやる、緊急・緊急でない・重要・重要でないの4象限にタスクをかき出し、優先順位をつけて順番にこなしましょう、が自然とできるようになった)

もう少し継続してみて、自身の変化に気づけたらいいなと思いながら、明日も少し背伸びしてやっていきたい。

雪がちらつく西日本にて。

妻は事前に断り、仲の良い後輩と夕飯を共にして帰宅。

といっても、帰り際にパチスロを打ってしまい、約一万円を散財。タクシー代と合わせると、なかなか悲しい出費だった。依存症だとは思わないが、この金額をあっさり負けてしまうとなると、生活にも影響がでかねない。二度とやらない。と心に言い聞かせてもやってしまうのでは、決意した意味もない。家に帰ることを優先することが何よりも大事なのかもしれないな。

後輩との夕飯で気づいたことがある。

転勤してから早10カ月が経ち、土地にも慣れてきた。そして仕事にも。打ち合わせでも迷いなく進めることができ、俯瞰して参加者の意見を聞きながら、自身の役割を発揮できていると自覚できる状態にあると思う。

慢心ではなく、控えめに言ってもだ。こうしてブログ書こうと(一時は中断期間もあったのだが)しているのも、頭の中で何を考えているのかが少しでも見えるようなれば、足りない能力を少しでも補えるような振る舞いが、次の一手として生み出せるのではないかと考えているからに他ならない。

反省すべき内容はなかったのか。

ある。

昨日のエントリで書いたけれども、文字にすると考えるきっかけとなる。これはたぶん間違いのないことだろう。これをへたな文章でも続けていくことで、(なんとなくだけれども)思考の深化に発展していくだろう。曲がりなりにも今年で四捨五入すると40歳になるので、しっかりと、明確に物事を進めていくことで、人生は「それなりに」開けてくるのではないかと、自身の努力が一定はあるという前提で期待をしているのだ。

それなりの人生とはどのようなものだろう。

おそらく、いまでも年収は全世帯の平均の2倍くらいはある。その時点では中流に自分は位置しているのだというのが自分のポジショニング感である。これから如何に出世し、さらに高い位置まで自分を持っていくのかが今後の重要な課題なる。その課題が具体的に何かを定義して、クリアしてクリアし続けていくことでこれもまた開けてくるのではないか。

世の中を見渡せば、私がうらやむ能力を持っている人たちは山ほどいる。彼らにとって私など、私の存在などチリのようなものだろう。いや、そもそも認識すらされていない。それでも生きていく必要がある。より豊かに生きていきたいという願望もある。今日のニュースで元ソフトバンクホークス松坂大輔が中日に入団、とあった。松坂世代としてはうれしいとともに、松坂は夢を持っていないことをそのニュースで知った。夢とは叶えることができないもの。●●になりたい、ではない。●●になる、と思う。なるほどな、と思った。彼はおそらく幼少期から当たり前のようにプロ野球選手、いやメジャーリーガーになる、と決めてそれに向けて私のような一般人には考えられない努力を積み重ねてきたに違いない。しかし、そんな彼にも故障という苦労があり、これもまた、自分は復帰する、と決めて今日に至ったのだろう。

松坂と自分を比較(本来であればおこがましくてアタマで考えても表現などしてはいけないと思うが)してみると、小さいなりに彼の生き方・考え方は私に勇気を与えてくれるものだった。夢を描くのではなく実現するための行動をおこす。いわれてみれば当たり前だが、やってのけるのは並大抵のことではないよね。それをニュースとはいえ目の当たりにできたことは、同世代として(繰り返しにはなるが)この上ない喜びだ。

今日という1日が間もなく終わり、また明日が迎える。改めてこうしてみると本当に毎日、1日1日の積み重ねが人を作っているのだ。0.1%でも毎日前進する人と、0.1%毎日交代する人とで、1年で約6倍パフォーマンスに開きがでることを以前、会社の研修で聞いたことがある。なるほどな、とすぐに感じたものの、だから何をするわけでもなく5カ月が経過した。今気づいたのであれば、このブログという場所で少しでも反省して、明日をよくしてみよう、何か変化をさせてみよう、といった気になるから不思議なものだ。何に変化を加えるのか。またそれを考えるのも生きていく楽しさだろう。

一度しかない人生だ。休み休みも、やはり進まないとね。

自分なりに頑張っている気がするけれども何かがうまくいかない

結局、頑張り切れていない。

追い詰められていない。

何をどうしたらいいのかがわからない。

 

今日の仕事を振り返ってみると比較的穏やかに終わった気がするものの、充足感は非常に少ない。充足感を感じるときってどんなときなのか。ここ数年だと、昇格面談の練習をしていた頃だと思う。

あれから約一年が経過したが、面談の練習を業務の合間に行ったが、仮想の仕事において、課題を設定し、解決策を洗い出し、自分なりにどうやって進めていくのかを考えそれをプレゼンする、といった繰り返しだった。しかもほぼ上司の受け売りで、それを自分の言葉で表現できるようにするための練習だった。

なぜ、そこに充足感を感じたのかを分析してみよう。

まず、ゴールが明確だったこと。通常業務は通常業務としてこなしていたが、面談は短期決戦で、昇格することが目的だ。そのためには、どうやって面接官に対して自分の能力を認めてもらうかが重要だということがはっきりしていた。(ここでの能力は実際に仕事ができるかどうか、ではなく現在⇒将来というスパンで仕事に対して意欲的に取り組み、管理職となった場合においてもパフォーマンスを発揮できる、という意味の能力を指す)

あとは、そのゴールに向けて現状の自分に足りないスキルが何かを洗い出し、ひたすらそれを補う訓練を積むことに注力すればいい。ただし、英語の学習と似ているのかもしれないが、伝えたい内容を自分の言葉で伝えるためには、その内容を深く理解しておかなければならない。

普段の仕事の取組みにおいて、深く理解することは重要だと思っていない。課題は誰かが見つけてくれて(仕事の種は常に他人任せだ)、それに対する打ち手を検討するところから始まる。それとなく無難な打ち手を思い付きで考え、それを実行するにあたってのリスク(といっても本当にクリティカルなリスクのではなく、周りに対して「あ~、それって確かに起こりうるよね、怒ったらまずいよね。よく考えてるね」と思わせることができる程度のリスク。わが社に本当のリスクテーカーがいるのかは不明。ていうかいないだろうな。)の洗い出しと、それを基にしたアクションプランを考える。

これでそれなりに評価されてきたのだから驚きだ。

毎回毎回の昇格試験などで、部署が異なる同期と顔を合わせるたびに痛感するのが、優秀だと感じる同期は、常に物事を深く考え、本当の最適解(わが社の場合ではエンドユーザの笑顔=会社の利益とを結びつけて、それらを両立させるために自分の組織でやるべきこと)を見つけ出しているように思える。新卒で入社して他の企業がどのように仕事を進めているのかを知らないので、それが合っているのかどうかはわからない。けれども、自分の価値観という尺度で彼ら優秀な同期をみると、やはりそう感じるのだからこれは仕方がない。

話が少しずれたので戻そう。

一年前の私は非常に苦労していた。
上司と作成した面談資料(主にプレゼン)を読み込み、理解を深め、言葉に発することでさらに理解も深めると同時に相手に伝わるかどうかをセルフレビューしながら、上司と面談練習を行うというサイクルを回し続けた日々が続いた。

面談練習を開始した時期に私が感じたのは、上司は私の能力に非常に疑問を持っていたようだ、といこと。おそらくベーシックノウレッジもなく、それ故に発展的な仮説も立てることができない私にあきれているようにも感じ取れた。しかし、ゴールは明確だ。昇格=出世。非常にシンプルな目的で、それが一か月後の面談ですべてきまると考えれば、頑張ろうという気力を保つには十分だ。

練習が終わるたびに上司が与えてくれるアドバイスを、こっそり録音し、それをテキストに起こして、プリントアウトして読み込み、出し続けた。

面談まで残り一週間を切った頃に上司から「仕上がってきたな」というコメントをいただいた。自信につながる言葉だった。

三日前からは、自宅でほぼ徹夜で面談練習を重ねていた。この練習を通じてだが、私の勤める会社の取組んでいることや、自分の所属している部署が会社全体のどのような役割を担っているのかが非常にスッキリわかってきたような気がした瞬間を迎えた。

そうするとどうなったのか。

受け売りではなく、100%自分の言葉で伝えることができるようになっていた。他人の言葉をそのままただ暗記してしゃべるのではなく、自分のものとして、だ。

コンサルとかそうした職種の人たちとは次元が違うことは承知しながらも(ある種、アタマの中身が違いすぎて私自身は社会人になってしばらくの間コンプレックスを抱いていた連中を指す:総合商社もそこには含まれる)、入社してから一番のブレークスルーを感じていたのだ。

結果としては、昇格試験に合格し、そのプロセスと結果の両方において一定の自信を得られたことはよい経験になった。

 

 

それから1年がたち、今の自分はどうだろうか。

考えることをやめてしまったように思える。環境に甘え、そうなっているのだ。(環境に甘えている、と書いたのは、本質的に周りに流される性格のため、自分自身が考えていないと感じているのはたいてい間違っていなくて、そうなっているのは追い込めない環境に自分がいるからに他ならない、と安易に考える思考のクセを持っているから、と私は自己分析しているためだ)

 

あの面談練習を通じて体験したことをもっと身近にできるよう、環境を変えてみるはどうだろうか。

仕事に対する負荷のかけ方をかえる。(簡単に言うけど、環境が甘いのにどうやって負荷をかけるの)

ゴールの設定を高くする。(達成した報酬はどうするの)(それって達成しなかったときに失うものはあるの)

 

やり方はきっとあるはず。

もっと考えてみよう。

 

ThinkPad xi carbon(2017)購入してみた。そしてレビュー

新年早々になぜだか高揚している。

5年ぶりのPC購入。

購入したのはThinkPad x1 carbonの2017年モデルで、Windows10Pro、Core i5 7200、メモリ8GB、SSDは128GB(到着後、自分で500GBに入れ替え)。重さは約1.1キロで、いわゆるモバイルノートPCだ。※人生初。

購入はLenovo直販サイト、ではなく楽天経由で。楽天モール内の質屋さんで新品未開封が11万円で出品されていて、直販価格よりも約2万円安く、楽天ポイントも付くのでこちらで購入(ポイント8倍)。直販サイトで買うと到着まで3週間程度かかるのがなんとなく嫌だったので、というか待てなかったので、見つけられてよかった。

ポチって3日後に商品到着。開封してみると、まさかのoffice付きでお得感満載だった。新品未開封のためか、買取の時に確認できなかった模様で、ラッキーだった。
※外箱の仕様記入欄にはOfficeがセットかどうかなんて書いてないもんね。

初のSSD搭載PCで、快適なことは言うまでもないが、時々プチフリするのが気になるかな。まぁ、仕事で使うPCでもないし問題ないかと思う。寝ころびながらのネット閲覧も可能で、ライトユーザーには余裕のメインPCといったところだろうか。

14インチディスプレイのFHDは、最初は文字の細かさに戸惑ったものの、慣れると逆に快適で、もともと使っていた20インチディスプレイと比べて違和感もそんなに無い。競馬DBソフト(TARGET frontier)の閲覧性を考慮して、125%で使用している。

Amazonでケースも買ったし、日曜日はタイミングを見て、カフェでノートPCを利用何てこともしてみたい(といってもブログを書くか、競馬の予想、ネットサーフィンくらいの用途となるのだが)。

早速、このブログもThinkPad X1 carbonで書いているが、レビューでもあったとおり、タイピングがスムースにできる(ような気がする)。会社のPCがノート型のため、それと比較してみると、各段に打ちやすい。キーの沈みがnaturalで打鍵感も素晴らしい。

見た目もcoolで、所有することに喜びを感じさせてくれる。

 

届いてまだ1週間も経っていないが、久しぶりによい買い物をしたな。

さて、今年も仕事に家庭にと忙しい1年になる。
楽しく、元気にすごせるよう、ThinkPadを活用しながら頑張っていこう。